遺言

 “この”まっさらの文庫本に、最初に目を落としたのは市民プールでのことだった。毎週金曜日、ここで娘と息子のプール教室が行なわれている。教室と言ってもテレビCMが流れているような企業系のものではなく、いわゆる地域サークルのようなもので、市民プールの片側半分を借りて安い月謝で有志の皆さんが教えてくれているのだ。
 私は毎週その送り迎えをしているのだが、娘はともかく、息子はいつ里心がついて泣き始めるか判らないので、終わるまで二階の見学ルームにいなければならない。
 この待ち時間がかなり暇を持て余す。
 最初の頃こそ、一応ガラス張りになっている階下のプールを見下ろして、子供たちが泳ぐのを眺めていたりもしたが、黄色いお揃いのプールキャップをかぶった大勢の子供たちの中から、我が子を発見するのは容易なことではない。たとえ、一旦、見つけたとしても、どこで間違えたのか、いつの間にか違う子供を目で追っていたりする。「あれ?ウチの子じゃないや」ということが間々あったりしているうちに、ついには辟易してしまって、観ることをやめてしまった。
 それでも向う側(プールにいる子供たち)からは、こちらが良く見えているようで、全く観ていないと、帰りの車の中で「今日、ぜんぜん見てなかったね!」と嫌味を言われる。だから、間をみてガラスの前に立つようにはしているが、大概は本や雑誌を読んで時間を潰している。
 この日は、暇つぶしになるようなものを何も持って来ていなかったので、子供たちの準備体操が終わったら本屋にでも行くつもりだった。プールサイトで体操をしている間だけは、こちらから簡単に我が子を発見できるというのもあるが、向う側(プールにいる子供たち)も、体操の時間は気がそがれているのでチラチラこちらを覗っている。この時間帯だけは見学ルームのガラスの前に立っていないと後の始末が悪い。水の中に飛び込んでしまえば、子供たちも夢中で遊び始めるので、多少席を外してもかまわないということである。
 体操が終わって、子供たちがシャワールームに走ったところを見送って、私は見学ルームに備え付けてあるベンチを立った。玄関を出ると急な冷気にブルッと体を震わせた。プールという性質上、館内がかなり温めてあるので、その温度差もあるだろうが、日が暮れるとまだ寒い。
 本屋には歩いていくつもりだった。先日、義母の四十九日法要で熊本に行った時、車の中に登山用のジャンバーを置きっぱなしにしていることを思い出した。薄手で温かく、畳むとボンレスハムくらいの大きさになるという点が妙に気に入っているのだが、畳むことは殆んどなく頻繁に着用している。ちなみに私はブルゾンとは言わない。昔馴染みのジャンバーという言い方をする。その方が、温かみがあるような気がするからだ。...というのはウソで、私が「ブルゾン」と言い始めた途端、「もうその言い方が古いですよ」と若者に言われることを恐れているからだ。生半可に洒落た言葉は使わない方が恥を掻かないという教訓は、ちょっと前に起きたエピソードを語らなければならないが、脱線しそうなので、今回はやめておく。
 車に戻ると、最後部座席に投げ込んであったジャンバーを手に取った。その瞬間に軽さが自慢のジャンパーが、普段の重さではないことに気がついた。こういう時は、ポケットに何かが入っているのである。そのまま車から出ると、一旦ジャンバーを羽織り、ポケットを弄った。
 すると一冊の文庫本が出てきた。一瞬、記憶を辿ろうとしたが、すぐに思い出した。これは、今は誰も住んでいない熊本にある嫁の実家から持って帰ってきたものであった。これまで熊本に遊びに行った時などに、まるで自分の部屋のように使わせて貰っていた二階の和室の、そのテーブルの上に置いてあったものだった。
 義母の四十九日法要が終わり、戸締りをして福岡に帰る間際のことである。忘れ物はないかと、最後の確認の為に二階に上がったとき、ふとテーブルの上に置いてある文庫本が目に付いた。蔦谷のブックカバーが掛かった手垢のついていない真新しい本であった。
 熊本で夜、時間を潰すために、よく本を買っていたが、義弟と飲み明かし、結局読まないということが多かったのもあってか、まるで自分の本であるかのように、何気にポケットに押し込んでいたのだ。たとえ私のモノではなくても妻の本であるだろう、とまで考えていたかは定かではない。とにかく今、思い出しても、余りにも自然にポケットに吸い込まれたので、この本の存在自体をすっかり忘れていたのである。
 改めてブックカバーを取り外し、本の題名を見た。
 【四日間の奇蹟】著者:朝倉卓弥
 

四日間の奇蹟 (宝島社文庫)

四日間の奇蹟 (宝島社文庫)


 さっぱり記憶に無かった。裏表紙のあらすじを読んでみるが、やはり私の買うような本ではなかった。私が読む本はやや偏っている。ただ、その偏りを説明していると、かなり長くなりそうなので辞めておくが、とにかく私の本ではなかった。妻はビジネス書からラブコメまで節操無く何でも読むので、おそらく妻の本だろうと、もう一度ポケットに仕舞い込んだが、その後、何だか本屋まで歩いていくのが、途端億劫になって、そのまま市民プールの二階にある見学ルームに戻った。
 それから、しばらくはガラスの前に立って、ざわめくプールの中から我子たちの姿を捜そうと試みたが、間も無く諦めた。そしてポケットの中から先程の文庫本を取り出した。まあ好みは違うが、たまには妻がどんな本を読んでいるのか知るのも良かろうと、最初のページを捲った。
 その瞬間、ゾワッと何かが背筋を走った。それが何なのか一瞬わからなかったが、すぐにその正体を掴んだ。普段、気づかないくらいさりげなく流れている館内のBGMが、その時、ドヴォルザークの『新世界より ラルゴ』だったのである。そしてこの文庫本の冒頭が
 『遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめん―――』
 もちろん、夕方、流される音楽の定番だし、単なる偶然だろうと思った。が、余りのタイミングの良さに、斜め読みするつもりが、ついジックリと読み始めてしまった。フランクな文章にも拘らず、普段使われないような難しい言葉が、たまに出てくると、作為的で少々、イラッとしたりしたが、結局、子供たちがプールから上がってくるまでに、ちょうど一章を読み終えた。そして、本を閉じ、息子を着替えさせる為に更衣室へと走った。
 子供と私はプール教室へ行くこの日、5時に家を出て、帰宅するのは7時半を過ぎることになる。その間、2ヶ月前から同居し始めた義父を、家に一人残すことになるが、それが少々心配の種になっていた。金曜日くらいは妻に早く帰って義父を見ていて欲しいのだが、それを言うと喧嘩の元になるので、喉まで出掛かっている言葉を呑む。
 義父は8年前に脳梗塞に倒れた。現在も尚、左半身が不随であった。その要因となったのが糖尿病であった。従ってカロリー等の制限が課せられ、そういった生活の中で食べ物に対しての執着は、少なからず常人を逸したものだった。それだけに食事の時間が遅れることは忍びないし、慣れぬ家に一人置いておくのも申し訳なかった。さらには急いで家路についたとしても、金曜日は食事を作る時間もないので、カロリー計算もしていない惣菜類が並ぶことになる。
 「すいませんね。こんなんで」
 それでも義父は文句も言わず、「おいしい」と言ってくれるのが、せめてもの救いでもある。
 夜中に妻が帰ってきてベッドに潜り込んで来た。私はそれまでずっとこの本を読んでいた。
 「これ、オマエの本やろ?」
 妻は、多少、寝惚けていたが、表題を見て、数ページパラパラと捲った。
 「知らん。違うよ」
 「えっ?熊本の二階の和室にあった本やけど...」
 「さぁ〜買った憶えがないね」
 妻はそう言ったきり、寝息を立て始めた。
 “妻の本ではない”それは、この本を読み進めるうちに、何度か疑ったことだった。妄想とも付かぬことだと打ち消していたが、これは、いわゆる義母の...。
 この本があった二階の和室は、義母が亡くなっていた場所だった。義父と住むようになった私は、義母の仏前で、絶えず意見を求めていた。何が正しいのか?何がベストなのか?この先どうすればいいのか?ずっと義母の気持ちが知りたいと思っていた。出来ることなら義母の意思に副った未来を作りたいと考えていた。
 義母は遺言を残さなかった。準備できぬまま途端おとずれた死だったのだろう。それだけに私はずっと迷っていた。
 この本は知能障害を持った少女と指を失ったピアニストの話だった。脳のこと、障害者を持つ家族の苦悩などが描かれていた。状況こそ違えども、精神的な部分に於いて、これまでの義母と、これからの私たちの心境に酷似していた。読み進めていくうちに、台詞に伴って義母の声が何度も聞こえた気がした。
 定かではないが、私ではなく、妻でもないなら(義妹という線も残されているが…)、この本はやはり義母が置いたものとしか考えられなかった。
 この本を読み終えてからは、残った者への、義父を取り巻く私たちへの、義母の遺言であったと、何だか確信めいたものを覚えている。

 

 ちなみにこの本のクライマックスの月光の描写はゾワゾワした。